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まず最初に、なぜこの問題にこだわるのか、ということに関してもう一度書きたいと思います。政治に関する話題は、日常生活で敬遠される傾向にあり、天皇制に関する話題は、原発関連のネタなど以上に「嫌われる」話題ですらあります。しかし、僕が思うに、皇位継承というのは政治の問題というよりは、こころの問題、日本人としてのアイデンティティの問題、歴史や伝統の継続性の問題です。
政治の問題は短くて数年、長くても数十年で徐々に当初のインパクトを失っていきますが、こころの問題は百年単位でその国民に影響を与えていきます。皇位継承の変化は、(多少大袈裟かもしれませんが)ペリー来航と開国、明治維新や敗戦とならぶ、“こころの転機”となる可能性があるのです。この転機は、主に家族観に関するもので、以前の転機と比べると地味ですが、やはり重要です。 「明治維新の場に立ち会えていたら面白かっただろうなあ」 と、思ったことありませんか?これと同じ感覚で、皇位継承に関していろいろと書きたくなるわけです。 皇位継承は、家族と男女のあり方に関する、「“家”における男女の地位」および「社会における男女の地位」という2つの観点から論じる必要があります。 ある男性と女性が結婚する場合、披露宴会場には「○○家・××家 披露宴式場」などと書かれた掲示が置かれます。この看板は、婚姻が個人の間でなく“家”の間で行われるという意識を示します。また、上の看板を見ると、最初に書かれた“○○家”が男性の実家であると自動的に解釈し、席次やスピーチの順序なども、男性側を“立てる”ことが通常です。これが、“家”における男女の地位に関する観点です。苗字やお墓に関する問題も、このカテゴリーに入ります。ある意味名目的な地位、ではあるけど、これを間違えると、親族同士が大喧嘩になりかねない観点です。 一方、ある人物の性別とその人物のポジションとの関連性、という観点があります。一般的には、「由緒ある大企業の社長」の典型的な例として、60代以上の男性を思い浮かべることが多いと思います(最近傾向が大きく変わりつつありますが)が、同時にこうした先入観は克服されるべきものだと知っています。これが、社会における男女の地位に関する観点です。 この2つの観点は、基本的に異なる次元にあります。たとえば焼香の順序などの“家”が関わる事案において男性が優先的な地位を名目的に持つのは、社会的に今のところは許容されていますが、企業などである人物の評価や処遇を決める際にその性別を勘案することは激しい批判の対象となります。言い換えると、前者がプライベートで暗黙的な性格を持つのに対し、後者はパブリックで顕在的な性格をもつ問題なのです。この点から考えると、皇位継承は、「伝統的な“家”における公的地位の継承」という、プライベートかつパブリックな二つの矛盾する性格を持っているといえます。女性天皇の是非を考える際には、この2つの観点からどう考えているのかを明らかにしなくてはいけません。そして、皇位継承が持つ、この矛盾した性格ゆえに、結論は折衷的なものにならざるを得ません。 僕は、「“家”における男女の地位」に関する国民の意識が近年、次第に柔軟になってきていることを理由に、女性天皇を支持します。「“家”における男女の地位」に関する意識は、以前はパブリックな女性上位を拒否するほどに強固でしたが、現在と未来においては、これを容認する程度には柔軟になっていると信じます。逆に、「社会における男女の地位」に関する意識は、パブリックな場での名目的な男性優位でさえ容易には許さないでしょう。 女性天皇の「ムコ様」は、自らの地位のなんともいえない収まりの悪さに、大変なご苦労をされるでしょう。しかし、国民は、そのムコ様と奥さんを茶化したりネタにしたりしながらも、微笑ましく見守り尊敬する程度には成熟していると、僕は信じます。そして願わくは、大変な苦労をされながら日本の新しい価値観と温かい家庭を築いていく二人のお姿が、新しい日本の象徴となってほしいと思うのです。 一方、皇位継承が男性皇族に限られる場合、状況は多少複雑です。 このまま男の子が皇族からお生まれにならない場合、今上天皇の後を皇太子殿下、秋篠宮殿下がお継ぎになります。秋篠宮殿下の後は、今上天皇(平成天皇)のご兄弟か、昭和天皇のご兄弟およびそのご子息までさかのぼって後継ぎを探すことになります。詳細は省きますが、簡単に書くと現在の皇室は女性ばかりなので、この場合、皇籍離脱者を含めた相当遠いご親戚が後を継がれることになります。 ここで問題となるのは、「女性の子どもがいるのに、彼女を無視して遠い親戚まで遡ることにどれほどの妥当性があるのか」ということです。おそらく皇太子殿下から秋篠宮殿下への継承は世間で受け入れられるでしょうが、そのあとの「ずいぶん遠い方」への継承は、男女の社会的地位の観点からだけでなく、現在の家族観からも国民の大きな反対に直面するであろうと考えます。国民の反対は、単に民主的なプロセスという観点よりも、国民が皇室に寄せる親しみを損なう、という意味において問題なのです。国民から冷ややかな視線をあびる孤立した皇室、というのは、なんだか悲しい存在です。 (女性天皇は一代限りにおいて認める、という考え方をとっても、最終的に「子どもがいるのになぜ遠い親戚まで?」という問題が生じるという点では変わりがありません。個人的には、一代限りの女性天皇が認められ、さらには彼女に男性の子どもがあった場合、その子どもに継承権がない、という考え方はかなり不自然に感じられます。) 最初に、こころの転機、と書きましたが、たとえ女性天皇を認めない、という結論になったとしても、やはりそれは大きな転機であると思います。というのは、敗戦によって政治機構が民主化された後も天皇家の長子が偶然にも男性であったために、男子継承原則の是非を問う必要がないまま、ここまで来ているからです。どちらの選択肢がとられるにせよ、この重要な転機に関して、もっとオープンで活発な議論が行われ、来るべき皇室のあり方に国民が親しみをもてるような合意形成がおこなわれることを望みます。
by oreinUK
| 2005-11-09 01:19
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